このページのコンテンツには、Adobe Flash Player の最新バージョンが必要です。

Adobe Flash Player を取得

平凡な経済学部生の余賀公麿(よがきみまろ)は自立して安定した生活を獲得することを夢見ている。そんな公麿のもとへミダス銀行通商部の真坂木と名乗る風変わりな男が現れた。将来の可能性を担保に貸し出すお金ミダスマネーを“金融街”と呼ばれる異空間で運用してほしいと持ち掛けるその男に、公麿は何を思うのか。
 

「しょせん金は金か あるいはそれ以上のものか それともそれ以下のものか
 立場が変われば見え方も変わる 不思議なものだな 金というものは」

これは第1話の冒頭に出てきた壮一郎のセリフ。お金(=貨幣)の本質を端的に物語っている。アニメの歴史に残る名セリフになるかもしれない。

貨幣の歴史を簡単に解説しよう。貨幣の始まりは紀元前にさかのぼる。もととも物々交換していたのが、それでは不便なので、貝殻や石が貨幣の代わりに用いられるようになった。でも、貝殻や石ころは無尽蔵にあるから、モノの価値の尺度に使うには不安定だ。そこで産出量が少ない金や銀、銅といった貴金属が貨幣として使われるようになった。

ところが紙幣の登場によって、貨幣のありかたが大きく変わった。なにしろ材料は単なる紙きれ。1万円札の1枚当たりの原価は印刷コストなどを含めてもせいぜい20円前後でしかない。では、その20円の紙きれになぜ1万円の価値があるのだろう。その理由は簡単。その紙きれに1万円の価値があることを「国」が保証しているからだ。この保証があてにならなくなったとき、お金の価値は崩れてしまう。

現代は、単なる紙きれすら流通しない「ペーパーレス」の世界に突入している。しかも、本来は物々交換の代用手段にすぎなかったお金が主役に踊り出てしまった。株取引がその一例だ。株価が大きく変動しても、企業の実態は何も変わっていないということはよくある話だ。だとしたら、その株で儲けた人、損した人にとって、株取引は単なるギャンブルにしかすぎないかもしれない。

その一方で、株式投資を職業とする機関投資家という人たちもいる。彼らの中には国の資金を株で運用する人もいる。株式投資を理論家してノーベル賞をとった人もいる。こういう人たちに株取引をギャンブルと言ったら失礼だろうか。

壮一郎のセリフ「金はそれ以上のものか、それ以下のものか」。その意図することはあまりにも深い。